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指定文化財

指定文化財

 

当館の収蔵資料には、岡山県指定重要文化財4件、津山市指定重要文化財4件、合計8件の指定文化財があります。

それぞれの資料をご紹介しましょう。なお、これらの資料は常時展示している訳ではありませんので、ご注意ください。

 

▼ 岡山県指定重要文化財

江戸一目図屏風
大身槍
津山藩松平家文書

 

 

▼ 津山市指定重要文化財

 

 

玉置家文書
 

 

 

 

 

袈裟襷文銅鐸   平成3年4月5日 岡山県指定

 

昭和25年(1950)に勝央町植月の畑地で発見されましたが、そのまま放置され、子供の玩具となっていたものを、翌年、津山市が取得しました。岡山県内最古形式に属し、この銅鐸と同笵(どうはん、同じ鋳型で作られたもの)のものが、島根県加茂岩倉遺跡から出土しています。

 

 

 

 

 

江戸一目図屏風   平成10年3月24日 岡山県指定

 

この作品は、津山松平藩の御用絵師・鍬形蕙斎が文化6年(1809)に江戸の全貌を一目で見えるように工夫して描いた鳥瞰図です。六曲一隻の屏風に仕立てられ、250箇所以上の名所・旧跡や諸大名の藩邸などのほかに、江戸の街で暮らす庶民の姿も細かく描かれています。洛中洛外図などのそれまでの鳥瞰図とは異なり、雲を用いずに西洋画の様式を取り入れた一点透視図法で描かれています。
 

 

 

大身槍   平成12年3月28日 岡山県指定

 

熊毛槍は、その名のとおり鞘の装飾に熊の毛を用いた槍です。1本の長さは約3m、重さは約15kgもあります。これほど大きくて重い槍は珍しく、津山藩松平家の行列の目印になっていました。津山藩主松平斉孝が10万石加増後、初めて入国した際の行列図にも、同種と見られる槍が描かれています。なお、藩主の行列の際には黒、嫡子は白の鞘を用いたとされています。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

津山藩松平家文書 平成24年3月9日 岡山県指定  愛山文庫 昭和31年7月4日 津山市指定

 

津山藩松平家には、多数の古文書・古記録・古書が伝来し、津山城跡の西北、津山市小田中の旧松平家倉庫に長く保管されていました。この資料群は、元禄~明治初期の津山藩政資料、廃藩以後の松平家記録、和書・漢籍の版本・写本類に大別されます。昭和31年に一括して津山市の重要文化財に指定され、平成24年には、この中の津山藩政資料が岡山県の重要文化財に指定されました。江戸時代の津山および美作地域を研究する上では必要不可欠な資料群です。この時期の資料がこれほど大量に残されている地域は数少なく、地方史研究上、非常に重要な文化財であるといえるでしょう。
 

 

 

 

玉置家文書   昭和31年7月4日 津山市指定

 

玉置家は、屋号を太布屋と称し、森家の津山入封に従って美濃国(現岐阜県)から移住し、城下堺町に居を構えました。元文2年(1737)に城下町の大年寄役に就任し、その後代々世襲して明治を迎えます。この玉置家には、城下町の町政に関する資料が数多く残されており、江戸時代の津山を語る上で、欠かすことのできない貴重な資料群といえます。 
 

 

津山松平藩主所用輿   平成23年4月26日 津山市指定

 

従来、武家では特別な例を除き、輿を使用していませんでしたが、文化14年(1817)の仁孝天皇の即位を控えた前年の4月に、御三家を初めとした従四位以上の大名に限り使用を許可したことが、「徳川禁令考」に出ています。その中に「松平越後守(斉孝)」の名があり、全国300以上ある大名家の中でも、輿の使用を許可されたのは22家だけでした。そうした大名家の輿の中でも、現存例は少ないと思われ、非常に貴重な資料といえるでしょう。
 

 

 

津山松平藩主所用乗物   平成23年4月26日 津山市指定
 
文政元年(1818)、津山藩主松平斉孝が、10万石加増後初めて入国した際の行列図に、これと同種と見られる乗物が描かれています。女性用の乗物は、婚礼道具のひとつとして大切に残されていることがありますが、男性用の場合は、日常的に使う消耗品として扱われ、ほとんど残っていません。随所に痛みは見られるものの、貴重な歴史資料です。
 

 

 

 

 

 

                                                                                                        

 

 

松平藩文書(愛山文庫)